12月14日
12月14日(日)午前に一時強風、曇りのち晴れ
6時過ぎ起床。昨夜は降ったのか。庭に大量の濡れ落ち葉。
NHKは時代劇枠、『あきない世傳 金と銀2』てのをやっていた。観入ってしまう。仕込みにならぬ。じゃがいも蒸す、かぼちゃ揚げる、スナップ豌豆茹でる。まかないカレー残り。ゴミ出し。手羽元焼く。録音。シーマックス。
柿。
昼。ご夫婦(美味しかったと言ってくれる)、女性お1人、ご夫婦(昔を知ってるらしく、「柳は?」の問いあり)、ツジくん(カフェオレ)、男性お1人。
営業中のFB1。記事「元日本軍兵士が語る南京陥落『狂乱の祭典』の裏側 ―南京事件は中国では日本の原爆忌のように追悼される」をシェア。■ 「昭和十二年の南京陥落のときの、国民の熱狂ぶりを伝える昭和史の本はほとんどありません。リオのカーニバルどころではない、狂乱の祭典だったのです」(←五木寛之氏の言)。 ■ 「機関銃を持ってきてバババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。『弾に当たらないのがいるかもしれないから着剣して死骸の上を突いて歩け』と(上官の命令があり)ザッカザッカ突いて歩いた。おそらく30人くらい突いた。捕虜はみんな死んだけれども何万という捕虜を殺したのは間違いない」。 ■ 「この方(捕虜)を“お客さん”て言うんだよね。」「今晩はお客さんが来てお客さんを処理するんだ。「“ピー”という将校の呼び子の合図で一斉射撃。ダダダダダダダダと始まる」。 ■ 日本兵は中国人の遺体に石油をかけて焼き、川の流れに流した。揚子江の岸辺が虐殺の場として選ばれたのは多くの遺体を処理するためだった。 ■ 銃殺は連日続いていたと語る。日本に戻ると、南京で見たことは決して口外するなと注意されたという。 以上を抜粋、次を言う。
― 「侵略」を「侵攻」と誤魔化し、『はだしのゲン』を禁書扱い、靖国詣で‥‥。アベシンゾーやタカイチ、維新、参政、それらの歴史修正主義への先導や加担は、彼らの本質である。本性の邪悪である。本性がダメならすべてダメなのさ。アベノマスク、アベシンゾー記念幼稚園、空母でぴょんぴょん、藤田文武の人相‥‥、ほうらね。ああ、そして「国民の熱狂」よ‥‥。―
3色丼(鶏挽き肉炒め・スナップ豌豆・炒り玉子 / S作)、味噌汁、コンニャク残り、激辛キムチ。
日記。
離れで休憩。『白秋望景』を再開。昼寝。
18時起床。物置で演奏チェック。出発準備。魔法瓶にウィスキーお湯割り。
Sと出発、丸亀へ。19時40分、薔薇都着。2組目ハシヤスメが演奏中。マキ市長が来てる。半地下の席に落ち着く。ナポリタンスパゲッティ、ビール。Sさんはアイスコーヒー。マキ市長が蜜柑をくれる。不純くん来る。演奏は、狩野さん、うめ、どぜうごっごと続き、最後が我々、不純くん(コンガ、グロッケン)とのデュオ。『山の上の店へ』『タコとウツボ』『暑いな』『悲しみ葬儀社』『ボクらの戦争』をやる(ヤマハ小、マイク録り)。片付けを手伝う。Sさんの運転で帰宅。23時を過ぎている。
厨房で飲み直す。Sさん、離れへ。オレは炬燵で飲み続け。
FB2。新聞の訃報欄(画像)をシェア。波田野紘一郎という方(享年86)、NHKのディレクターとして『ヤング ミュージック ショー』を担当されたとのこと。以下を言う。
― こういう方がおられたんですね。合掌。NHK『ヤング
ミュージック ショー』にはどれだけ心躍ったことか。「レオン=ラッセルってこんなオッサンやったんやあ(←子供の感想)」とか、「動いてるミック=ジャガー」を始めて観るために高校から自転車をぶっとばして家に帰ったり(『ヤング
ミュージック ショー』は土曜か日曜の夕方の放映が多かったんじゃない?)。その日の日記に「ミックはなかなかやるなあ~」と偉そうにこれまた「子供の感想」を書いたのを覚えておるよ。でも、中学時代かなあ、スリードッグ
ナイトとか、ニッティー グリティー ダート バンド‥‥etc。ジイサンやバアサンもまだ生きていて、ジイサンのでかい鉢植えの百日紅が子供部屋から見えた(正確に言うと、この百日紅の日はTVじゃなくて、FMからのE=ジョン『ロケット
マン』であった / 中一)。『ロケットマン』、シカゴの『サタデー イン ザ パーク』、この辺を耳にしてより歌謡曲がまったくくだらなく聞こえてきたのであった(今は好きだけど)。まことに、テレビ様、ラジオ様のおかげです。―
S撮影の動画をチェック。午前4時となる。
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