3月26日(水)晴れ
5時半起床。じゃがいも・かぼちゃ・ブロッコリー。野菜かき揚げ残り丼、薩摩揚げ残り、キムチ。ゴミ出し。手羽元焼く。録音。
FB。記事「GAZA
365 DAYS 現地通信員が見た戦場」をシェア。「パレスチナ自治区ガザで朝日新聞の通信員を務めてきたジャーナリストのムハンマド・マンスールさん(29)が2025年3月24日、ガザでイスラエル軍の攻撃を受けて死亡しました」とある。昨日のTVニュースでも訃報を聞いた。以下を言う。
― ムハンマド氏の記事は紙面でも幾度も目にしていた。「知った人が亡くなった(殺された)」という感覚である。まったくひどい。日本人にできることは、今、日本で進みつつある「軍拡」へNo!をつきつけることしかないように思う。早い話が、自公・維新・国民民主党への反対である。市井もトランプ的なホニャラカに煽られちゃって‥‥。目を覚ましておくれ(近視眼的視野狭窄から)、である。そしてソフトバンクも害毒だ。―
シーマックス。
ご飯残り少々、薩摩揚げ残り少々、菜の花漬物(細川パパより)。
昼。マナベ占い師。お客が続かない。
やっと、ご夫婦が来店。しばらくしてSさんに呼ばれた。「知り合いの方みたいよ」。店へ出た。「?」である。名乗られてやっとわかった。江戸さん(高校バスケット部1年先輩)であった。ということは奥さんの方はかの有名女性体育教師さん。やあ、びっくり。挨拶めいたことを喋るうちに、50年近く前の江戸さんが、眼前のオッサン(?)の顔から浮かび上がってきた。おお、確かに江戸さんだ。お2人、ダンスの今川さん(3人とも体育の先生)からオレのことを聞いたらしい。それで訪ねてくれた。彼らの帰り際にも少し話した。もはやお顔はオレの知ってる江戸さんである。凄いものですなあ。あっという間に半世紀が早送りされた。会えて嬉しかった。「あの頃、あの場所」を経験したもの同士ってことだろう。センチメンタル過ぎるかもしれんけど。カウンターには占い師とかえるちゃん。ビールを1缶飲んだ。
チャーハン(菜の花漬け、ツナ)作る。
Sさん、炬燵のパソコンで旅行計画。オレは離れの布団に入る。『手段からの解放』、難しい。1章は「論文」である。2章(講演の記録)に至ればなんとかなるのか。
Sさん、図書館と買い物へ。
離れで古いノートをチェックしてたら悲しくなった。開店当時の日記、それ以前、西荻時代のものも少しあった。書きなぐりであるが、ところどころを判読すれば情けなさばかりが蘇る。料理メモが思ったより多くあった。俳句はかなりやってる。一番やばいのが出て来た。「オレとSさん危機の頃」のもの。危機ったってオレが勝手に招いたのである。Sさんからの手紙(?)もあった。いたたまれない。悲しい思いをさせてしまった。ここまで愚かだったとは。オレは記憶を仕舞い込んでいたのかもしれない。しばし唖然とす。歌詞ノートもある。曲作りを本格化させたのは「危機」の後である。曲作りに人生が救われている。つくづくそれを思った。チャンスをくれたイズミくんにもあらためて感謝である。
Gプロ。No.130『プーチン
プリン』に手を入れる。去年8月の宇多津ライブの内容を「公式」とした。歌詞はもちろん、構成・メロディも前と少し変わる(シンプルな方向へ)。コードチェック、130~133。134『ギンチャンズの夢は~』のコード譜を書く。116『冬椿へようこそ』、キーCをGへ移す。さらに「あとがき」も推敲。
Sさん。ピーマン肉詰め作る。冷奴(キムチ)。穴子にぎり寿司(出来合い)には手を出さず。
Gプロ。「あとがき」チェック。歌詞チェック、No.1~20を少し手直し。
コメント
コメントを投稿